2003
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    Re:国立マンション訴訟で景観権初認定
            ―東京地裁判決は条件付き―

 今年最初にアップした「国立マンション訴訟で景観権初認定」http://member.nifty.ne.jp/Kitakama/5/2003/1.htmlに関し、皆様から大変参考になる返信をいただきましたので、その要旨を掲載します。
最初に掲載してありますAさんの御指摘には下記ように返信しました。それと記事には触れませんでしたが、私は「住民の被害救済として、金銭ではなく建築撤去を命じた理由について、判決は被告の明和地所」(東京都渋谷区)が住民を敵視し、景観破壊を認識しながら景観の美しさをマンションの売り物としていたことを挙げ、『社会的使命を忘れた』と非難した。
業者にも住民と歩調を合わして景観を守る『自己規制』を強く促したといえる」(毎日新聞・クローズアップ2002)という部分に注目しています。

【Aさんへの返信】
  朝日、毎日、読売、産経、東京新聞及び共同通信社の配信記事にじっくりと目を通しましたが、Aさんの御指摘の通りです。ただ、今回の私のコンテンツはこの点を強調することではなく、Aさんも書かれている「 ただし「景観のよさ」という”人間の視覚と美意識に依存する価値”はこれまで人によって評価が異なり、何を美しい景観とするコンセンサスがないといわれ、従来「建築基準法という法にかなった」「企業の利益」の前には大変弱いものであった−と いうことを考えれば、今回の判決は
画期的なものであることは間違いありません。」という点に 、積極的な評価を与えました。

【Aさん】―純然たる「景観権」を認めたわけではない―
 野口さんの文で少し気になることがあったのですが,判決にも明記され、下記に書きましたが今回の判決は純然たる「景観権」を認めたわけではなく
・地域独特の街並み(都市景観)が形成され、
・その景観が広く一般杜会においても良好な景観であると認められ、
・地権者が所有する土地に特定の付加価値を生み出しているという条件がある場合に限って、
・地権者はその土地所有権から派生するものとして、
 「良好な景観を維持する義務」を負うとともに、他の地権者に対しても景観の維持についての同様の義務の負担を求めることができる
 つまり、住民の長い努力で景観が経済的な負荷価値を生み出しているから、その経済的な価値の侵害は権利の侵害であるとの考え方に立っています。
 ただし「景観のよさ」という”人間の視覚と美意識に依存する価値”はこれまで人によって評価が異なり、何を美しい景観とするコンセンサスがないといわれ、従来「建築基準法という法にかなった」「企業の利益」の前には大変弱いものであった−と
いうことを考えれば、今回の判決は画期的なものであることは間違いありません。

【Bさん】―油断のできない状況―
 国立の地裁判決、一般に、下級審は過激な判決が出やすく、上級審で、是正される。そのため、三審制がある。この考え方から言えば、油断のできない状況といえますね。
 一応、このような、事情がある以上、そのようなマンションには入居をためらう人も出てくる。たとえば、そのマンションの存在する学区の入学児童などをお持ちもご家庭では、入居を差し控える。そのようなマンションへ入居される方は、差し控える
ようなことのない、いわば、タフな精神をお持ちの方々となる(麹町小学校兼幼稚園舎は15年3月仮開校、4月本開校。その南側にできたダイナシティ社(新聞に拠れば、都心部でディンクスを狙ったワンルームないしステゥーディオ形式の開発デベロ
ッパーとして昨年、株式公開。確かではないが、ITで検索する限りは、監査役には元神田税務署長や文部科学省所管の財団役員も名を連ねている。
 PTA有志は強力に反対運動を推し進めるが、全くの敗北、唯一の救いは反射板の取り付けだった。後日の出来事がおもしろい、その運動の会が解散してから、あの運動は私たちが中心になってやったのだとK党区議の個人ビラがポストに入っていた。
かねてより、妻には、キットそのような人々の運動だから、PTAと言えども、入会はしないことと言っておりましたので、妻もあきれて、入会しなくて良かったと申しております。)のマンションへの入居者はそのような人を狙ったものでした。おかげ
で、校舎屋上には巨大な太陽光反射板を取り付けて校庭に光を誘導する装置が付きました。皆様の税金で)。
 従って、マンションの一部取り壊し判決が出ても、その方達の居住権への保証や何やらで膨大な時間がかかる。また、建築業者の体力が無くなっておりますし、もしかするとツブれている。結局は、実行されない判決が出てだけのことになりかねない。
もし、判決どおりに実行するとすると、いったんは、自治体の負担のかもしれない、そして永久に回収されないことになり、マンションに住んでいない人々は、その料金を税金の形で負担する。
 以上が、新聞を見て、私と、妻との感想と展望でした。
 米国では、文教都市にしようという意思のある都市では、住民にスクールタックスを課している。仮定に学生がいてもいなくても、家庭に、一律課している。私の友人は、年間百万円と言っていました。(この話は確かめたわけではなりません。)こう
することにより「良好なコミュニティ」が保たれるし、そのような方向へ導いていくことができるとも言っていました(この点は、私としても合点がいきます)。
 なお、米国不動産業者間での「良好なコミュニティ」とは、究極的には、高給取りのWASPだけの街という意味です、もちろん、日本人などの有色人種はふさわしくない。なお、人種差別でないことを証明してみせるためにも、ふさわしくない人々で
あってもよほどのメリットを与えてくれる極少数の人だけを受け入れる体制は作ってある(その人々は、帰国するたびに「現在の居住街区は、黒人や有色人種の少ない街に住んでいる」と自慢げに話す姿はよく目にします)。
 街の良好を求めるのなら、その街にふさわしくない人を排除する制度を組み込まなければなりません。また、仮に、わが国に良好な街があるとしてら、そのような制度が、たくみに組み込まれていたことになります。70年に渡って、インフォーマルに組み込まれた街の存在することも新聞報道で知りました。(以下略)

【Cさん】―明和地所に同情する部分が―
  以下は、反論ではありません。
国立市クリオマンション訴訟の件、私は隣町に住んでいて、かつ仕事場への通勤に現場横を毎日通っているので、別の見方をしています。
 現場は確かに大通りにありますが、南端に位置し、これをもって全体の景観を壊しているとは言いにくい場所にあります。また、景観論だけで言えば、クリオマンションよりも後に建設した国立駅北口のマンション群の方がはるかに大通りの景観を破壊しています。(このマンション群に対する景観訴訟はゼロ)
 また今回の訴訟も、地元住民の建設反対運動が、最初は日照権問題だったけれども明和地所の計画変更でクリアになり、途中で景観訴訟に戦術が切り替ったと記憶しています。
 今回の件は、そもそもが国立市が20年くらい前に計画した国立駅周辺の開発区域を駅前地区に留めず大通り全域に拡大適用したことが発端です。当時、現場には東京海上火災の空きビルがあり、長いこと放置されていました。その土地の有効活用が当時から問題になっていたと記憶しています。そのような背景があるからあの土地まで開発区域にしたのだろうと拡大適用の理由を考えることができます。
 このように最初から大規模開発を前提とした土地に大規模なマンション計画が来て、市は計画を認めたけれど、住民運動に押されて慌てて条例を作り後追いで規制した。一方、反対住民は日照権では戦えないので景観論に戦術を変更して反対運動を展開した…。
…と私は見ているので、明和地所に同情する部分があります。

【Dさん】―判決には喝采―
 国立の裁判所の判決には喝采です。欧州とくにドイツ、オランダと言った先進国は国立より遙かに景観を規制しており勝手に高さどころか壁の色さえ規制され自由にはできません。
 居住景観は大事な公共財であり皆で守る社会的な義務があることをわれわれはもっと学ぶべきだと思います。


稲村が崎から見た夕陽(住民が努力してつくりあげた都市景観も素晴らしいが、自然のままの景観もまた美しい)

                                                   (了)

 

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